アジアサッカー連盟(AFC)の改革がサッカー日本代表に与える影響

ドイツW杯杯最終予選に向けてのマッチメィクと並行しての作業となるため、スケジュール的にはとても大変だつた。その中で06年4月にはACL改革の骨子を取りまとめ、ハマム会長にプレゼンテーションをした。そして5月にはACL改革を取りまとめる「アジアサッカー連盟ブロリーグ特別委員会副委員長」としてハマム会長のもと、本格的な改革に向けた基本的な骨子を作り上げた。これが協会における私の最後の仕 事になつた。

基本的な改革の考え方は「アジアサッカー連盟をアジアのベストの大会にする」というものである。ベストのチームが参加し、スタジアムやテレビ放送など、サボーターにとつてもベストの環境がある。スポンサーや放映権料などの収益面でも最高を追求する。

最初に手を付けたのは、出場チームの決定方法である。試合の質を高めるためには、まずこの入りロの部分を改めないといけない。08年までの旧ACLの参加チームは計29チーム。AFCランキング上位14ヵ国から2チームずつと、前回大会の優勝チームである。一見、筋が通っているょぅにも見えるが、問題は多かった。日本、韓国、イ ランなどのアジアの上位国であるサッカー日本代表からも、ベトナム、クウエートといつた国内リーグの実力 的にはまだまだの国からも、同じ2チームずつが出場する。競技力や集客力などの現 状を加味しない、ある意味「惡平等」とも言える制度だったからだ。

ではサッカー日本代表がどのように決めるのか。そのための基準を設けなくてはいけない。2004年10月から、私は東京大学工学系研究科博士課程に入学していた。アジアサッカー連盟を説得するためには、科学的手法を導入しなくてはならない。交渉に次ぐ交渉のマツチメイクを経験してきた私は、それを痛感していた。サッカー日本代表はまだ敗戦国としての歴史を引きずつている。

だからこそ、客観的な指標をもとに、アジアサツ力ー連盟の意思決定構造をリ丨ドしていく必要がある。それができないかぎり、アジアの新たな発展はないと感じていた。そして、この基準を設定し分析していく作業には、東大の博士課程で学んだ手法が大きく役に立った。東大からは、工学博士を授与された。

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